よく「若気の至り」で〇〇しちゃいまして、なんて言葉を聞くし、自分でも言ってきたわけだが、
その「若気」に経年変化はあるのだろうか。「若気」→「中気」→「老気」といった具合に。
結論から申し上げて、それは無いのではないかと思う。若気はいくつになっても若気のまま、
何かの瞬間にヒョコっと顔を出す。
身も心もありのままに弾ませて。後先のことなど考えもせず、風にまかせて流されていきたい。Ah…
◇中尊寺金色堂(岩手県平泉町)
東京駅から新幹線で、仙台駅を経由して岩手県・一ノ関駅へ。ここから東北本線で2駅目の平泉駅が
中尊寺金色堂の最寄駅になる。
一ノ関駅からの東北本線は4両編成くらいだっただろうか、乗り降りする扉の開閉は押しボタン式で、
自動で開いたりしない。
チラチラと横目で乗り慣れている風の人を参考にボタンを押そうとしつつ、結局その人がボタンを押して開けた扉から
電車に乗り込む。
大人スキル・整列乗車の術、炸裂だ。
平泉駅近くの蕎麦屋でわんこそばを平らげ、レンタサイクルで中尊寺へ。
途中何度も、普段は目にしないオニヤンマだろうか、随分大きなトンボがギュンギュン目の前を飛び交って行った。
立派な蜘蛛もいて、思わず自転車を止めて写真に収めた。
中尊寺の入り口に立つと、月見坂という名の、いきなりの急坂が始まる。
幸い天気のいい日だったので、足元が滑ったりするようなことはなかったが、
坂を登っていくうち、気持ちも自然と別世界へと誘われるかのように高揚してきた。
金色堂は、薄暗い覆堂の中にあった。
静かに、そして威厳のある重い光を放つその姿を目に焼き付けようと、5分くらいは立ち尽くしていただろうか、
しかし金色堂を出てしまうと、もう何も思い浮かばない。
急な月見坂を今度は下りながら、中尊寺建立のためにこんな急坂を上り下りして働いた人たちの姿を思い浮かべて、
人の為す仕事の重みについて、思いを馳せずにはいられなかった。
◇立石寺(山形県山形市)
まだ夏の日差しを残した眩しい太陽に目を細めながら、山の側面に沿って目線を上げていくと、
上の方に微かにお寺の屋根のような部分が見える。
宝珠山・立石寺(山寺)。
近くまで行って見上げれば、石の階段が延々と続いている。
1015段もあるのだという。どこかの幼な子が早く早くと元気よく階段を駆け上がって行く。
何がこんなにも惹きつけるのだろう。早く階段を登りたいという衝動が抑えきれない。
いつの時代に生まれようと、全ての人の人生に、幾多の苦難があったことだろう。
それでも人は生き、楽しみを見つけ、後世に何かを残し伝えていく。
有形無形のその何かに惹きつけられたのか、この日も多くの観光客が訪れていた。
しかしふと思えば、肉体の衰えに反比例するかのように、若き日に心惹かれることのなかったものに
惹かれることが多くなってきた。
冒頭、「若気の経年変化説」を否定したばかりだが、早速の修正を余儀なくされそうだ。
◇蔵王高原・ドッコ沼(山形県山形市)
この日はまだ、日暮れまでには時間があった。次の行き先も、とことん風まかせに決めることにした。
蔵王中央ロープウェイ乗り場に着いたときには、15時近くになっていた。
10分弱ロープウェイに揺られて終着駅に着くと、周囲の気温が低い。
標高1300m。
高原というより、なだらかな山の中腹に降り立った感じがする。
ひとまず、15分ほど下ったところにあるドッコ沼を目指すことにした。不思議な名前の沼だ。
このドッコ沼を更に下った先には、往復目安60分ほどで行ける「不動の滝」があるのだという。
やはりこの先に進みたいという衝動が抑えきれない。
すると、堰を切ったように仲間内の一人が「不動の滝」へと走り出した。
「ちょ、待てよ!」
「ちょ、待てって!」
似てないキムタク風ゼリフが、鬱蒼とした森の入り口で怪しく揺れる木々たちのざわめきの中に
虚しく吸い込まれていった(嘘)。
おわり
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